オタクノ作る時間

主にノベルゲームについて取り上げてきた元学生のブログ

私的な文句・愚痴vol.2 ゲームの不具合とパッチ

ps3xbox360の普及によって、それまでオフラインでのプレイが当たり前だった家庭用ゲーム機においても、ネットワーク経由でオンラインプレイすることが一般化した(ps2とかドリキャスの時もあったけど定着したのはこの世代だろう)。これはまさにゲーム史における進化の一環であり、楽しみ方も増えたと思う。実際、欠かすことのできないものになった。ゲーム購入後も追加要素がアップデートできたり、気に入ったダウンロードコンテンツを購入したりと消費者とソフト開発側との間に双方向的な繋がりが生まれたわけだ。

でもこの消費者とゲーム購入後も繋がることができるという状況によって、酷い事例も出てきた。で、今回述べたいのがゲームのバグ・不具合に対する修正パッチについてだ。

そもそも、ゲームにバグは不可避というか、常に共にあったと言える。実際ほぼ全てのゲームにバグは存在する。程度は別にしてね。だからバグ自体はしょうがないと思えなくもない(本来あってはいけないけども)。でも最近ちょっと多すぎやしないか?

 

最近の風潮(最近の〜とか書いて一元化するのは良くないとは思うんだけど)として、後に修正パッチを配布できるからなのかバグや不具合が多すぎると筆者は感じる。特にフレームレートとかロード時間といったパフォーマンスの不具合が多い。去年で言えば『Bloodborne』は大変優れたソフトで、本当に楽しませてもらったのだが、発売当初のロード時間の長さは酷いものだった。何度もリトライさせられるゲームなのに、その度に長時間待たされることは苦痛でしかなかった。『ウィッチャー3』もムービーのフレームレートが安定してなかったりした。その後、修正パッチで改善! まあこれらに関してはバグではないし、その後の改善に全力で取り組んでくれたとも言える。批判するのは良くないかもしれない。だが発売当初からこのクオリティにすることはできなかったのか?と筆者は思ってしまう

許せないのはアサシンクリードシリーズを手掛けるUBIソフトだ。毎年ソフトを発売するという体制を維持するためか、頻繁に進行不能レベルのバグが発生する。そしてフレームレートもガタガタで重い。快適なプレイとは程遠いというか、最低レベルのデバッグすら出来ていない。もはや、発売日にプレイすることが有料でデバッグ作業をすることを意味している。発売後に修正パッチを配信できるからって必要最低限のクオリティを維持できない状態で発売するのはプロとしてダメだろ。いい加減な仕事をして胸を張って消費者に商品をを売れるのか?『アサシンクリード ユニティ』の時は世界中から非難されていたが、あれでは仕方がないだろう(さすがに反省したのか次作ではそこそこ安定)。

それから今更になるが、KONAMIから発売された『ZONE OF THE ENDERS HD EDITION』は60fpsでプレイできることを売りに宣伝をしていたのに、実際はカスみたいなフレームレートだった。移植前より酷いとか予想できるか! これもだいぶ時間が空いた後にパッチで改善(しかも違う会社にパッチをつくってもらうという)。

f:id:Lemuridae:20160602220443j:plain

個人的に腹が立ったものを名指しで非難したが、これ以外にも同じような事例がたくさんあるのが悲しい。

 

最後に言わせてもらおう。パッチ自体は悪いものじゃない。だがパッチにあまえて必要最低限の仕事をしないことは恥じるべきことだ。中途半端なものを客に出すな。パッチなんか一度も配信しないことを目標にしろ。久しぶりにゲームやろうと思ったとき、ディスクを入れるたびにアップデートを要求されて待たされるのはここ10年で生まれた悪しき習慣だぞ。ゲームだから許されてるのか? もしそうでなきゃ、電子書籍化が進むと誤字脱字を発売後に修正するのが当たり前になって、発売日に読むことが有償の添削作業と化すかもな。実際テレビ放送では手を抜いて、Blu-rayではまともな作画になるアニメとか既にあるけども(テレビ放送の場合、金払ってないから許せるけど…)。

 

というわけでネットワーク環境がない人たちも笑顔でゲームができるようになることを祈っています。メモリーカードをメーカーに送る時代でもないし。

筆者の文句や愚痴を聞いてくれてありがとう。