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オタクノ作る時間

バイトと学校を除くとほぼ引きこもってる学生のブログ。主に映画の感想とノベルゲーの紹介。週一更新から不定期に移行。

ノベルゲーム、ADVについて考察。

ゲーム テキストアドベンチャーゲーム

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1.そもそもこのジャンルって何て呼ぶの?

上の写真を見てほしい。ゲームが並んでいるのがわかると思う。ここで質問。これらをひとくくりで呼ぶとしたら何と呼ぶ?

ノベルゲーム?

確かにしっくりくる。しかしノベルゲームと言ってしまうと『ポリスノーツ』や『御神楽少女探偵団』、『逆転裁判』みたいなコマンド選択式のゲームがその定義に合わない気がする。

アドベンチャーゲーム

アドベンチャーゲームと言うと、『バイオハザード』や『パラサイト・イヴ』のようなアクション性の高いものもその定義に入ってくる。

そこで筆者はテキスト主体のアドベンチャーゲームということで、これらをテキストアドベンチャーゲームと呼んでいる。なお、なんでもかんでもサウンドノベルと呼ぶ人がいるけど、サウンドノベルチュンソフトの商標だから、多くはその定義に入らない。

 

2.テキストアドベンチャーゲームには2種類ある。 

いろんな作品をプレイして気づいた。テキストアドベンチャーゲーム(長いから以下 TADV)には大雑把に言うと2つの種類がある。みんなが良く知るタイトルで例を挙げると

かまいたちの夜型”逆転裁判型”の2つだ。

 

かまいたちの夜型”のTADVの主な特徴は、ゲームオーバーがないことだ。簡単に言うと、このタイプでは主人公が死んでも、なんら問題ない。その場合でもゲームオーバーにはならず、“主人公が死んで終わり”という1つの物語として完結するわけだ。

つまり物語の入り口であるオープニングから、選択肢を経た先にある“エンディングという出口”が複数存在する。この出口は、全滅であっても撲殺であってもなんでも良い。だからあらゆる可能性を見ることができる。いわゆるマルチエンディングというやつだな。

しかし“逆転裁判型”にはゲームオーバーがある。主人公が死ぬと物語は成立しないわけだ。主人公が死んでしまったら、“…という夢を見た”となるのがこのタイプだ。

つまり“エンディングという出口”が1つしか存在しない。途中でどのようなルートを辿ろうとも、結局は1つの結末へ帰結する。そのエンディングに到達できなかった場合は、全てゲームオーバーとして“なかったこと”にされるのだ。

 

某有名漫画で例えよう。“かまいたちの夜型”のTADVは のび太が結婚する相手を選ぶことで孫が変わる。それどころか、のび太が死んでしまうエンディングもあるかもしれない。一方で“逆転裁判型”では誰と結婚しようが絶対にセワシが生まれる。というかセワシが生まれなかった場合はゲームオーバーになっちゃうわけだ。のび太が死ぬなんて、もってのほかで、死んだ瞬間にやり直しになる。

 

だけど今では、容易に2つの型に分けることは出来ない。なぜそうなったのか? トゥルーエンドというやつが現れたからだ。トゥルーエンドというやつは、“かまいたちの夜型”、つまりマルチエンディングのTADVにおいて、とある1つのエンディング(最後のことが多い)が最も正しい、これが本当!とされるものである。こいつの存在によって“かまいたちの夜型”のTADVと“逆転裁判型”のTADVの違いがわかりづらくなっている。トゥルーだけが正しいという風潮によって、マルチエンディングの意味がなくなりつつあるわけだ。

 

 3.トゥルーエンドの誕生について考察。

そもそもこのトゥルーエンドというものが生まれたのはいつなのかとか、どの作品からなのか、ということはわからないんだけど、筆者が思うに、トゥルーエンドが生み出されたきっかけは、アニメ化や映画化といったメディアミックスだと思う

例えば超有名タイトル『CLANNAD』で考えてみてくれ。原作のTADV版では様々なヒロインと結ばれるエンディングがあるわけだけど、アニメ版には渚エンドしかない。『CLANNAD』といえばヒロインは渚、茶髪の女の子って多くの人は認識していると思う。これじゃあ他のヒロインのエンディングがゲームオーバーみたいなもんじゃねえか! ゲームオーバーとまでは言わなくても、いわゆる“正史”扱いはされないよね。

アニメや映画といった映像媒体にTADVを変換する過程で、複数のエンディングがあるのは厄介。というかどうしても1つに絞らざるを得ない。そこで出来たのがトゥルーエンドという概念なんじゃないかな。でも、トゥルーエンドをアニメ化しだしたことが、この風潮の発端かも知れないから前後はわからない。

そう言えばトゥルーエンドには特定のヒロインと結ばれるものの他にも、全てのキャラクターが幸せに終わるパターンもあるよな。やはり結末を1つにするための苦肉の策にも思える。

 

4.TADVのアニメ化作品が原作を越えられない理由を考察。

しかしまあ、こんな風潮は無視しちゃえば良い。筆者に言わせれば、原作を超えたTADV原作のアニメ化作品はない。TADVの魅力は

物語における様々な可能性を選んで見ることができること。

映像媒体に比べて圧倒的な分量がありながら、画面と音楽の演出によってまるで映像を見ているような体験ができること。

単純に長い時間、物語に触れることで思い入れが深くなること。

これらにある。特に最後は重要だ。思うに、TADVのアニメ版が原作に勝てない理由は分量の違いにある。アニメでは長くても9時間くらいだけど、TADVは50時間とかが基本。同じエンディングにたどり着いたとしても、同じ感慨なわけがない。『シュタインズ・ゲート』なんかがその最たる例だった。

長いのがだるいって人もいる。まあ気持ちはわかる。だけどTADVは思い出なんだよ。終わり良ければ総て良しなのがTADV。だってどんなに長くても思いだすときは一瞬じゃん? みんな高校時代とか学生時代が楽しかったって言うけど、ほとんどは机に拘束されてたわけでしょ? だけど卒業式さえ迎えちゃえば最高のものになる。思い返すとき、そこにマイナス面はない! 結末さえ良ければマイナス面も“良い思い出”になる(限度はあるけど)。

 

5.かまいたちの夜型に革命を起こしたループ、時間遡行という題材。

ところで、マルチエンディングには致命的な欠点があった。“かまいたちの夜型”のTADVにおいて、プレイヤーは主人公を俯瞰している。プレイヤーは様々なヒロインと結ばれたり、いろんな死に方をする主人公を目撃することができる。でもキャラクターは、どんな結末に行きついても全てがリセットされて最初に戻ってしまう。 ここが“かまいたちの夜型”の弱点で、キャラクターの主観とプレイヤーの主観が乖離する。“逆転裁判型”の場合は、主人公とプレイヤーの視点は離れることなく、一貫しているために感情移入がしやすい。

しかしこの弱点は克服される。時間遡行もの、ループものがこの弱点を克服した。時間遡行やループなら、プレイヤーとキャラクターの視点が乖離することはないし、プレイヤーは知っているのにキャラクターは知らない、“志村後ろ!”状態になることはない。複数のシナリオを見ることができる上に、キャラクターとプレイヤーの視線が乖離しないのだ。『クロスチャンネル』なんかはその辺がすごく上手かったし、『Ever17』や『善人シボウデス』なんかは、その構造自体をシナリオに利用しちゃった。これって革命的だったと思う。

 

最後に。

というわけで、このジャンルの呼び方・TADVには2種類ある論・トゥルーエンドとはなんぞや?・アニメ化しても原作に勝てない理由・時間遡行ものやループものが多い理由 を筆者なりに考えて書いてみた。

誰か賛同してくれ…。自分では凄い発見だと思ってるんだけど…。まあ、ここまで読んでくれたあなた、ありがとう!