オタクノ作る時間

主にノベルゲームについて取り上げてきた元学生のブログ

『劇場版AIR』の感想。こういう感想もあるんです!

※この記事は『AIR』が好きな人が読むと不快な思いをすると思います。

 

当ブログではゲームソフト『AIR』をかつて酷評したが(過去記事参照)、今回取り上げる『劇場版AIR』は原作が大嫌いな筆者でも楽しめる映画だった。

原作についてはこちら↓

lemuridae.hatenablog.jp

 

この映画は巨匠 出崎統が監督した2005年の劇場用映画である。原作ファンにはたいそう嫌われて黒歴史扱いされている本作だが、筆者は『劇場版CLANNAD』と同じく、非常に楽しむことができた。その理由はもちろん、原作に思い入れが一切ないからに他ならない。筆者が考えるに、この映画を楽しむために必要な条件は

  • 原作に思い入れがない or 原作が嫌い or 原作を見たことがない
  • 出崎統作品に親しんでいる or 出崎演出が好き or 出崎リテラシーがある
  • 昭和演出+萌え絵という組み合わせに笑える or カオスなものが好き

の3つだと思う。この条件のうち2つを満たしているのならば一見の価値ありだ。オススメする。また2つといわずとも、条件を1つでも満たしているのなら冒険してみる価値はある。そして条件を1つも満たしていないのなら…観るのはやめておいたほうが良い。なぜならこの映画、もう『AIR』の素材を使用しただけの別作品であり『AIR』ではないからだ(それが良い)。しかしそうは言っても一応は原作の映画化であるため、多少は原作に対する理解を要求される。だから完全な初見者にもオススメできない(出崎統が好きなら初見でも大丈夫だと思うが)。う~ん、なんとも微妙な作品である。しかし条件をすべて満たしている筆者のような奇特な人間には、この上なく面白い映画だった。

 

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© VisualArt's/Key/東映アニメーションフロンティアワークス

この映画は原作の『AIR』とは違う、『AIR』を題材にした一本の映画として見るべきである(ただし作中の随所に見られるシーンには原作理解が多少必要)。人間不信に陥っている青年 国崎住人と、自分の死期を悟った少女 神尾観鈴のひと夏の出会いと別れを描いた物語なのだ。原作にあった輪廻転生の要素や翼人がどうこうというくだりを“観鈴が夏休みのフィールドワークの中で調べている町の伝説”という設定にしてカット。伝説として残っている翼人の悲恋物語を自分の境遇と重ね合せるという形で話を広げながらも、あくまで一人の少女と青年の物語として完結させている。

そしてこの映画における主人公 国崎住人の人物像は良い。共感できるというか、良い感じの痛々しさがある。見知らぬ少女に「本気なんか見たことない!」と激昂し、人間不信で人との繋がりを自ら断ち切ろうとする。でも本心ではそれに憧れ、断ち切ることができない。わかりやすい危うさを抱えた等身大のキャラクターである(20超えててこのキャラってのもどうかとは思うが 笑)。彼が何事にも本気で打ち込まずのらりくらりとテキトーに生きているのは、何らかの結果が出て傷づくよりも、いっそ何もしないほうが良いと思ってるからだろう。筆者も結果を恐れて何もしないタイプの人間なので、その気持ちは痛いほどよく伝わった(笑)。だけど住人は心のどこかで何かに熱くなりたいという情熱を秘めていて、観鈴はそれを見抜いたから彼を放っておけなかった。

このテーマ、そしてこのドラマ、筆者は非常に好きである。若者の危うさと瑞々しさが描かれている。自分を「好きだ」と言ってくれた少女 観鈴の“命を懸けた本気”を住人が目の当たりにするラストシーンは、はっきり言って原作の何倍も感動した。これは一人の男の成長物語なんだよ! 「本気になるのがかっこ悪い」と思っている反抗期の中学生みたいな青年が、残された命を本気で生きる少女との出会いを経て、一生懸命生きることの大変さと素晴らしさを知る。彼はラストで逃げ場をなくしたわけだが、それが大人になるということだろう。「しばらくは観鈴と一緒だろう」という安っぽくない現実的なセリフが印象的で、彼はもうその後の人生において腐ることはないと思う。『劇場版AIR』は主人公がヒロインを助ける話ではなく、主人公がヒロインに救われる話なのだ。そう考えれば、お姉さんらしくなった観鈴のキャラクターにも納得できるはずだ。

 

次は映像や演出について書こう。力強い演出を得意とする出崎監督のことだから、この映画でもめちゃくちゃなことをしてるんだろうな〜と思って見始めたわけだが、案外この題材に合っていた。なぜなら『AIR』の舞台は真夏のど田舎!出崎演出が違和感なく入り込める絶好の舞台だからだ。透過光やハーモニー処理は太陽の光として過剰な感じはしないし、それに原作からかなりファンタジー的な要素があるため、強烈な演出にも耐えうる条件は揃っていた。

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© VisualArt's/Key/東映アニメーションフロンティアワークス

CLANNAD』の場合はわりと現実的な世界観だったから出崎演出が出るたびに爆笑していたわけだが、こと『AIR』に関しては普通に違和感なく溶け込んでいる(鬼の太鼓には爆笑したけど)。またキャラクター達は原作の好みが分かれる絵柄から万人ウケを狙える等身の高い絵柄になった上、CGで上手く表現された海や雲の流れなどの背景もクオリティが高い。上記二点から、映像美を楽しむ映画としては満点とも言える(どうして『劇場版CLANNAD』はあんな作画になってしまったんだ?)。そしてキャラ変更によって原作プレイ時には全く魅力がなかったキャラクター達を可愛いと思えた自分に驚いた。

 

と、ここまでこの上ない絶賛をしたが、それは筆者が原作が嫌いであり、なおかつ出崎統作品が好きだからである。出崎監督の『AIR』への改変を見て、「そうだよな!出崎さん!そこカットした方が良いよな!」と、好きな監督が嫌いな作品をめちゃくちゃにしているところを楽しんでいるわけであり、決して一本の映画としてそこまでよく出来ているわけではない(正直に言えばあの酷い原作よりは何倍もよく出来ていると思うが)。だからそういう感想もあるんだなぁ〜くらいで、この記事に関しては勘弁してほしい。筆者も別にアンチではないので、もう二度とKey作品を批判しないつもりだ。筆者と『AIR』の対立はここにて終了を宣言する。

というわけで、読んでくれてありがとう!

 

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画像は全てDVDより。
 

 画像は全てDVDより。

007シリーズ初心者が年代順に観て感想を書く! 70年代編

世界一有名なスパイ映画、『007シリーズ』を観たことがない!そんな状態から抜け出さなければならないと唐突に思い立ち、当ブログではシリーズ全作品を年代順に観て感想を書いている。既に60年代の作品の感想は書いているのでそちらは過去記事を参照!この記事では70年代の作品の感想を書くので、暇な人は読んでみてくれ。では。

 

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7.『007 ダイヤモンドは永遠に

1971年公開のシリーズ第7作。ショーン・コネリーの復帰作にして、彼のジェームズ・ボンド卒業作である。どうやら前作のジョージ・レーゼンビーのボンドが不評だったことによる1作限りのカムバックだったようだ。前作を見た時は2代目ボンドもなかなか良いと思ったのだが、本作を見るとやっぱりショーン・コネリーこそがボンドだよな~と思ってしまった。安心感が桁違いである。

前作の一件でボンドがブチギレしている冒頭を見て、どうやら役者が変わっても話は続いているらしいということが分かった。…ということはボンドは何歳になるのだろう? 本作ではショーン・コネリーがちょっと老けた感じがするので、キャラとしてのボンドの老化が心配になってきた。まあ次作からはまた役者が変わるわけだが。

見どころはエレベーター内での格闘シーン。ここは生々しいリアルな攻防が描かれてて本当に素晴らしい。狭い場所での取っ組み合いはボンド映画の見せ場だと再認識した。それからラスベガスでの警察とのカーチェイスも、それまでの007映画のカーチェイスとはまた違ったもので非常に新鮮だった。

総論として、残念ながらマンネリ感が強い。なんというか、いつもの007という感じだ。確実に楽しいわけだが、ショーン・コネリーの最後の作品なんだし、もっと集大成感を出してほしかった。それからそこそこシリアスに話が始まったかと思いきや、ホモの殺し屋・月面車での追いかけっこ・カリオストロ的ワイヤーアクション・謎の新体操女・衛星ビーム兵器など、わけが分からないシーンが多い。そういうところがいつもの007なわけであり、マンネリの原因なわけである(笑)。

私的評価:★★★★★★☆☆☆☆ 6/10

 

8.『007 死ぬのは奴らだ

1973年のシリーズ第8作。ロジャー・ムーアによる3代目ジェームズ・ボンドのデビュー作である。ロジャー・ムーアは彼なりのボンド像を始めから全開で出しているところが2代目ボンド、ジョージ・レーゼンビーと対照的だ。役者の交代と共にボンドのキャラクターが変わっているので(葉巻派に転向してるし)、最初のうちは「こんなのボンドじゃねえ!」と思いながら観ていたんだけど、30分くらいで「これはこれでありかな…」という気がしてきた。いつまでもショーン・コネリーの物まねをしているわけにはいかないしね。印象としては、ロジャーボンドは軽い感じだ。

この映画、もう本気でふざけている。ギャグ映画なのか…?と何度も混乱した。イメージでいえば『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』に近い。むちゃくちゃなシリーズの中でも、さらにギャグ成分が多いのだ。なんでも未来予知できるタロットカード、異常な磁力の腕時計、ブルース・ブラザーズ並みにハチャメチャなボートチェイス、ワニの上を疾走するボンド…これらのシーンには真面目に大笑いした。なんやねん(笑)。さながら『クレヨンしんちゃん』である。今にして思えば、『女王陛下の007』はバカ映画化していくシリーズの軌道修正を果たそうとしていたのかもしれない。あ、一応誤解の無いように言っておくが、バカ映画ってのは別に侮蔑の意味で言ってるわけじゃないぞ。

結論、これからロジャー・ムーアが彼なりのボンド像を見せてくれそうで楽しみである。しかし彼の演じるボンドは全然強そうに見えないのが残念だ。全然迫力がない。前作のエレベーターでの取っ組み合いみたいなシーンはしばらく見れない気がする。

私的評価:★★★★★★☆☆☆☆ 6/10

 

9.『007 黄金銃を持つ男

1974年のシリーズ第9作。前作に引き続き、かなりはっちゃけた内容になっている。正直、そろそろシリアスで緊張感のある007が見たくなってきた。さすがに笑わせようとし過ぎじゃないか? 前作のギャグ用員、ペッパー保安官がまさかの再登場を果たした上に、両津勘吉並みのハチャメチャ警官ぶりを発揮。そして彼らが爆走させる車が宙を舞うシーンで間抜けなSEが入ってたので、これはもう確信犯なのだとわかった。

中川「せ、先輩だ…」

ってカットを途中で入れても違和感ないと思う(笑)。

この映画、出演している役者さんたちがみんな良い。あのクリストファー・リーが本作の敵役 “黄金銃を持つ男” を味のある素晴らしい演技で演じているし、(『スター・ウォーズ』が好きな筆者は、冒頭で「ドゥークー伯爵、若過ぎ!?」とかなりの衝撃を受けた)本作のボンドガールは当社比で最も可愛い(常にビキニ姿なのも目の保養になる)。それから『ハワード・ザ・ダック』のような小人さん、アクションがキレキレの女子高生、上述したペッパー保安官など、役者さんの個性が色濃く出てるキャラクターが楽しい。

結論、クリストファー・リーが “サーカス出身の紳士的な殺し屋” という陰がありながらも愛嬌のあるキャラクターを見事に演じていて、それだけで楽しめる。だけどそろそろシリアスなのが見たいかな。本作はさすがにボンドが情けなさ過ぎるのが嫌だ。力士に負けるボンドなんて見たくないというか、どうやら筆者はロジャー・ムーアのボンドがあまり好きではないようだ。なんというか、彼のボンドは格闘シーンがショボい。途中の『燃えよドラゴン」みたいな武道大会のシーンなんかは、ショーン・コネリーだったら見所になってたと思う。

結局、乳首が3つあるって設定は何のためにあったんだ?

私的評価:★★★★★★☆☆☆☆ 6/10

 

10.『007 私を愛したスパイ

1977年のシリーズ第10作。英ソの原子力潜水艦が突然行方不明になるという事件が発生。利害の一致から協力関係になった英ソは、事件解明のためにそれぞれ自国最高のエージェントを派遣する。英国最高のエージェント ジェームズ・ボンドは、ソ連最高の女性エージェント トリプルⅩと共に黒幕を探すのだった…というストーリー。製作されたのは1977年、冷戦の緊張緩和によってこのような話が生まれたのかと思うと興味深い。

最初に書いてしまうが、この映画は非常に面白い。今ひとつパッとしない前作や前々作と比較すると頭一つ抜きんでている。正直『007は二度死ぬ』以降のシリーズは作業的に観ている部分が少なからずあったのだが、この映画は最初から最後までずっと惹きつけられてしまった。期待していたシリアスな路線とは全く違ったが(笑)。

冒頭は『女王陛下の007』のような雪山でのスキーチェイスから始まる。いきなりアクションから始まるのが良い。ここでボンドが雪山の断崖絶壁からパラシュートで脱出するシーンがあるのだが、パラシュートがド派手なユニオンジャック柄で笑った。ジェームズ・ボンドよ、お前は素性を隠す気があるのか…?

その後、この冒頭のシークエンスでボンドに返り討ちにされたソ連の刺客が今作のボンドガールの恋人だったという事実が判明する。そしてこのボンドガールというのが上述したソ連の女性エージェントである。もうお分かりだろう、反目しあう2人が共に窮地を乗り越えながら互いを理解していく、という話だ。この、すぐに喧嘩を始めるドタバタコンビが世界を股にかけて大冒険するバディームービーのような趣が素晴らしく、ロジャーボンドの軽さがストーリーに上手く機能していて良い。喧嘩するほど仲がいい状態というか、互いに素直になれないシーンが可愛くて仕方ないのだ。この味はロジャー・ムーアじゃないと出せなかっただろう。

全体を通すと『ゴールドフィンガー』に近い。かなりバカバカしいんだけど、クールさは損なわれていないのだ。前作がふざけ過ぎ感があった中、本作はそれと同じか、あるいはそれ以上に はっちゃけたシーンが多いのだが、露骨に笑いを狙いに行っていないといえば良いのか、とにかくそこまで間抜けじゃない。しかしジョーズという名の、某巨大鮫を想起させる殺し屋が登場するのだが、こいつだけはもうわけが分からない。鉄の歯で標的を噛み殺すというとんでもないキャラクターで、素手で車を引き裂くわ、鉄の鎖を噛み切るわ、撃墜するヘリに乗っていても死なないわ、ホオジロザメをも食い殺すわ、基地ごと爆破しても生きてるわ、というターミネータばりの不死身のキャラである。結局最後まで生きてるんだが、こいつは何だったなんだ?(笑)もはや間抜けというか何というか…どーゆうコンセプトやねん!筆者のツボにはまって、出てくるだけで嬉しかった。

結論、オススメの一本である。オープニングが音楽・映像共に今までで一番カッコいい。そして007ならではのアクションシーン(秘密兵器やボンドカーなど)が多いうえ、様々なロケーションが楽しめるという点で、旅映画としても良質だと思う。70年代作品では今のところベストだ。

私的評価:★★★★★★★☆☆☆ 7/10

 

 11.『007 ムーンレイカー

1979年のシリーズ第11作。アメリカからイギリスに輸送中のスペースシャトルムーンレイカー」が突如ハイジャックされる事件が発生。事の真相を解明すべく、英国情報部はジェームズ・ボンドを派遣した…というストーリー。なんと本作の舞台は宇宙!ジェームズ・ボンド、遂に宇宙進出である。なんだか『スター・ウォーズ』の影響を感じさせる一本だった。

飛行機から落下する冒頭のシークエンスでいきなりワクワクさせられる。このシーン、いつものチープな合成には見えなかったが、どうやって撮影したのだろう? まさか本当に落下してるわけではないよな…。映像技術が発達してない頃の映画だからこそハラハラさせられた。

敵の配下に変な日本人がいるのが面白い。フランス風の建物の中で一人だけ着物を着ているので、めちゃくちゃ浮いている。なんとも言えない顔が笑いを誘うこの男が剣道着と竹刀を身に着けてボンドを待ち構えているシーンで爆笑した。なぜにその恰好、その武器? せめて日本刀を持てよ(笑)。しかしガラス工芸品を豪快に割りながら対決するシーンは意外に面白い。

そしてまさかの前作から続投する不死身キャラ、ジョーズ。本作ではなんだか可愛いキャラになっているのに笑った。女の子に恋しちゃったり、満面の笑顔を見せてくれたりと、全作とはまた違った面を見ることができる。ボンドとは意外な形で決着がつくので、これまた必見である。

舞台は宇宙だと上述したが、ずっと宇宙にいるわけではない。序盤から中盤までにかけてはヴェニスの街並みやリオデジャネイロの祭りを堪能できる。正直、これらのシーンが雰囲気含めて非常に良かったため、宇宙に行くのはやめてほしかった。というか宇宙に行くまではシリーズでも上位の面白さだったのだ。

結論、これを言うとこの作品を全否定することになってしまうわけだが、007に宇宙要素は要らない。中盤までは楽しかったのに、宇宙に行ってからのラスト30分ほどは本当に退屈だった。宇宙でビームを撃ち合う絵面は007に求めてない。ドアロック解除の音が『未知との遭遇』と同じだったシーンを見て、この作風が、いわゆる当時のSFブームに便乗した結果だと理解した。007には007の良さがあるんだから、流行に乗らなくてもいいのにな。しかしここまで全否定している宇宙のシーンだが、時代を考えると非常にリアルである。『007は二度死ぬ』の宇宙シーンは失笑もののお粗末さだったが、こちらはなかなかの現実味がある。そのように素晴らしいからこそ、この宇宙描写は別の映画で見たかった。

私的評価:★★★★★☆☆☆☆☆ 5/10

 

70年代作品の総論。

ショーン・コネリーからロジャー・ムーアに交代した70年代。ボンドはロジャー・ムーアによって親しみやすい軽いキャラクターとなり、ストーリーもどんどんと荒唐無稽になっていく。続けて一気に観ているからというのもあるだろうが、なんというかそろそろマンネリ化していっている気がした。その中で突出して面白かったのが『私を愛したスパイ』。これはジョーズが象徴するようなバカバカしいシーンも多いのだが、それまでの要素がきれいに集約されていて、シリーズの中盤の集大成だと思う。というかそれ以外は別に言うこともないかな…。敢えて言うなら、『死ぬのは奴らだ』と『ムーンレイカー』はふざけ過ぎです。

 

そういうわけで、読んでくれてありがとう。80年代作品の感想も書くので、そのときはよろしく。

 

 

『AIR』 クリアしたので感想を。酷評注意

 ※この記事はAIRが好きな人は読まないでください

 

Keyの名作テキストアドベンチャーゲーム、『AIR』をクリアしたので感想を書く。最初に書いておくが、ここから先に書くことは全て筆者の個人的な感想である。筆者としてもこの記事を読んで作品のファンが不快な思いをするのは本意ではないので、この作品が好きな人はこの記事を読まないでほしい。

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筆者はこのゲームと同じライターさんが手掛けた『CLANNAD』が嫌いだったため、おそらくこの『AIR』も自分には合わないだろうと、プレイするのを避けていた。しかし、もしかしたら『CLANNAD』以外の作品は楽しめるかもしれない。一本だけでKey作品を見限るのはもったいない。そう考え、さらに今年になってPSVITAに移植されたこともあったので、食わず嫌いをやめて購入してみた。つまり今回は『CLANNAD』の時のような高騰した期待はなく、楽しめたらいいな~くらいの気持ちでプレイしたのだ。そして悟った、筆者にはKey作品は合わない。水と油だ。もう二度とプレイすることはないだろう。というか、『CLANNAD』の時は自分が嫌いだったとはいえ、評価する部分や作品のクオリティの高さに納得できたのだが、この『AIR』に関しては評価されていることが理解できない。『AIR』に比べたら『CLANNAD』ですら100点だ。今までプレイしたノベルゲームの中でもワースト3に入るつまらなさである。

 

作中登場するヒロインは全員、精神年齢が異様に幼い。そしてライターさんの考える彼女たちのギャグ的な “可愛い天然セリフ” がすべて寒い。萌え要素もここまで来たら気持ち悪い域に達している。行動原理が理解不能なので、彼女らに感情移入することは不可能。したがってプレイヤーは長時間のプレイ時間を、ひたすら言動も思考もおかしい理解不能のヒロインと過ごす羽目になる。これが非常にきつい。しかもそれぞれのヒロインに用意されたシナリオは全て、理不尽な理由によって悲劇に合う、ただそれだけの内容である。人の死とか病気を泣かせのために使っている製作側の意図が見え見えで興ざめする。描かれる悲劇に必然性を感じないのだ。さらには一つ一つの描写が全て説明的で冗長、語り口も壊滅的に下手である。“主人公やヒロインの母親はこんなにもヒロインのことを想っているのです!”ということを一方的に延々と書いてあるだけの文章が多すぎる。たとえばヒロインの母親が「あんたのために何日も家の前で土下座してきたったわ」みたいなことを言うシーンがあるのだが、本当に相手のことを考えているのなら、こんなふうに相手が引け目を感じるようなことは言わないだろう。この辺も超絶的に下手だな~と思った。さりげない描写で愛情を感じさせるように工夫してほしい。親子愛をテーマにしたかったのはわかるが、非常に表層的でペラペラ、こんなので泣けるわけがない。特にラスト辺りはキャラクターが完全にライターさんの思い描くストーリーの駒として動かされている感じがして、全然生きているように見えなかった。最低だよ。

 

また全体通して謎のファンタジー要素が多く、リアリティラインがどのあたりまで引かれているのかが分からない。だから、いわゆる奇跡的な展開が起こっても、驚けばいいのか、それとも黙ってそれとして受け入れればいいのか悩まされる。ようは話に乗れないのだ。人と仲良くなると体が病んでいくという、理由も原因もわからない運命を抱えたヒロインとの命を懸けた恋愛。そんな字面だけの悲劇を見せられても、頭の中は常にクエスチョンマークである。そしてその原因が平安時代?の頃の自分たちが呪いをかけられ、その呪いが輪廻転生を経て現代にも残っていたからとだいうことがわかるのだが、そのことが明かされるのは中盤を超えて終盤に差し掛かる前くらいなのだ。そこまでが前ふりなの?長すぎるだろ!ずっとわけがわからないまま読み進めるしかなかった。 輪廻転生の話なんだから、現代と過去を交互に見せれば、現代でも展開に置いてけぼりにされないようにできたと思うのに…下手だな~。

 

そして何より酷いのが、メインヒロインは過去から連なる運命の呪いに多少あらがったものの、悲劇的なラストを迎えるところだ。結局は運命に流されるままで終わるのである。生まれ変わったらそれでハッピーなの?違うだろ。この理不尽さで感動させようという意図だったとすれば、それは泣かせ方として最低だ。というか、そんなんじゃ泣けない。千年近い時を超えた物語なんだから、その永い時をずっと耐え続けたヒロイン達の一貫した想いが残酷な呪いを打ち破る話が見たかった。苦難を経て逆境を乗り越えるのがこの手のゲームの醍醐味だと思うのだが…。まあ『AIR』のキャラクター達はみんな魅力がなく、思い入れもないから、『CLANNAD』の時みたいに胸糞悪い思いはせずに済んだのだけど。どうなろうが知ったこっちゃないのである。

 

まとめ。

今までプレイしたノベルゲームの中でもワースト3に入るクソゲーである。無駄に長いので途中で何度も投げ出しそうになったが、なんとかラストまでたどり着けた。正直、金と時間を返してほしい。良かったのは音楽と声優さんくらいだ。あとまあ正直に言えば、西村ちなみさん演じる神奈と井上喜久子さん演じる裏葉の微笑ましい掛け合いは好きかな。だからこの掛け合いが見られる過去編だけは楽しめなかったこともない。しかし『CLANNAD』のリベンジとしてプレイしたが、『CLANNAD』のほうが百倍面白かった。というか、あっちは喜怒哀楽、様々な感情を味わわされたが、こちらはひたすら退屈なだけである。これからプレイしようと思っている君、やめとけ。オープニング曲『鳥の詩』を聞くだけのほうが確実に良い。全体的に曲は素晴らしいから。

というわけで、読んでくれてありがとう!

 

 クラナドの感想↓

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輪廻転生ならこちらをオススメ↓

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劇場版の感想↓

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